能楽の仮面について

650年間継承された仮面劇

御存じの通り「能楽」はユネスコ世界無形文化遺産として日本で初めて認定を受けた、 我が国が誇る世界が認めた芸術文化であります。そしてその芸形態の特徴として一番に上げられるのが、仮面劇であると云う点でしょう。 世界各国にも仮面を用いた儀式が現存していますが、それが演劇として昇華したものとして650年もの間一度も途絶える事無く 現代まで伝承・継承されているものは「能楽」以外に例を見ません。

変身願望から生まれた「仮面」

面の画像

では何故人類は「仮面」と云う物を創り出したのでしょうか。 それは世界各国に残る儀式などを考察すると、自分では無い存在(神々など)に変わると云う変身願望から生まれたと考えられます。

本来人間はその本能として、常に自分自身を変えていきたいという願望があるそうです。 憧れる人物に自己を投影し、その人物の仕草や物の考え方、さらに髪型やファッションなどを悉く真似ているうちに、 やがては自己の人格までが変化し、形成されていくのはまさに良い例でしょう。 この演劇的本能は人類の進歩・進化にも繋がっていると云っても過言では無いと思います。

しかしその対象者が人類・人物では無く、動植物や人間を超えた神々と云った存在である場合は、 自己の表情や身体を素顔・生身のままで表現する事は不可能であり、それ故に仮面や衣装などが生れたのでしょう。

多彩な表情表現を可能にする「能楽」の面

そして「能楽」では、仮面の表情をより複雑に表現する為に、 喜怒哀楽などの露骨な表現を避け、あえて中間的な表情を用いて表現を極端に抑制し、 仮面をかけた演者の強い心を、その仮面を通して訴えかけるという方法で、多彩な表情表現を可能にする仮面を生み出したのです。 「能楽」の面が芸術的価値の高い理由はこの為です。

「能面のような顔」と云う譬えは、精気の無い顔、無表情と云った、余り良い意味で使われておりませんが、 それは大変な間違いであり、実は能楽の仮面ほど表情豊かなものは他に無いのです。

(大阪能の面研究会 顧問)
能楽師・和泉流狂言方  小笠原 匡