仮面の両義性

本年四月二十九日に島根県安来市清水寺に於いて「摩多羅神の舞」が復元され、考証及び復元舞の型附けに携わる機会を得ました。

摩多羅神とは仏教の護法神で、延暦寺三世座主である円仁が唐に留学した後、帰国する際に船中で虚空から摩多羅神の声が聞こえて感得し、比叡山に常行堂を建立して勧請し、常行三昧を始修して阿弥陀信仰を始めたと記されています。

舞の画像

また源信が念仏の守護神に勧請したとも云われており、「念仏修行を邪魔しに来るテングを驚かし追い払うために、跳ね踊り、めちゃくちゃに経文を読む儀式をおこなうなど、カーニバル的な芸能の場と結びついた神でした。体の奥底からわき出てくる踊るエネルギーがその本質であり、やがて猿楽の芸能神とされ、翁(おきな)の成立にも深く関係しているとみられております。

しかし特定グループの守護神として秘事の儀式であった為に、信者を失ったときにあっさりと歴史の闇に姿を消してしまい、現在残っている摩多羅神の祭りは岩手・毛越寺の二十日夜祭などしかありません。ところが安来市清水寺で嘉暦四年(一三ニ九)の胎内銘を持つ「摩多羅神」像が八点の「古面」と共に発見され、今回御堂の落慶法要を期に清水寺「摩多羅神の舞」復元となったのです。

猿楽成立以前のものである「古面」は大変損傷が激しく、使用不可能な為、その複製を当会の松村満忠氏・植田美雲氏御両名にお願い致し、大変崇高な面が現代に蘇った訳ですが、古面の復元にあたり強く感じた事は、面の持つ両義性でした。

「摩多羅神の舞」の流れをくむ「翁」ではシテ方が白式尉面を付け翁を勤め、狂言方が黒式尉面を付け三番叟を勤めます。また一度退転してしまい滅多に上演される事が無い父之尉延命冠者では父之尉面や延命冠者面といった男面のみにて構成されています。しかし唯一現存する毛越寺・摩多羅神舞は若女舞と老女舞であり、清水寺の古面も老女面の様に思えました。素晴らしい面は様々な表情を持つのは周知の事ですが、表情は心の現れであり、その心が豊かであるのは人知を超えた神の領域でありましょう。

では神の領域とは何か。日本の祖先信仰では、神は父で有り母なのではないでしょうか。面には父性と母性の両方を兼ね備えている必要があるのでは無いか。生命の誕生と死。太陽と大地。陰と陽。これが仮面の両義性であると私は考えるのであります。

(大阪能の面研究会 顧問)
能楽師・和泉流狂言方  小笠原 匡